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この旅の一番の目的地、中尊寺へ!!



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月見坂
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 中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。
 参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。



八幡堂
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 やおよろずの神々のなかで、八幡神は最も早く仏教にとけ込み、八幡大菩薩と尊崇されてまいりました。
 祭神を応神天皇とする伝統的信仰から、皇室の祖神、国家の守護神として、ことに源氏の氏神として、八幡宮は諸国に造建され、広く信仰されてきました。
 天喜5年(1057)鎮守府将軍源頼義、義家、安部氏追討のためこの地に至り、ここ月見坂で戦勝を祈願しました。いわゆる前九年の戦です。かくて長い戦いを収め、勝利の記念に京都石清水から迎えたのが鎌倉の八幡宮です。(後、それを頼朝が鶴岡に移建)
 鎌倉時代「吾妻鏡」のなかに「中尊寺年中恒例の法会」として「八月放生会」とみえます。
これは八月15日の宇佐(九州)石清水、鶴岡など八幡宮における放生会の事例からも、当初八幡神前における法会厳修とみなされ、以って当山におけるその神威の主要なることがうかがわれます。
 明治の神仏分離で、八幡堂と称し阿弥陀如来尊像も合祀庶人の熱心な御信仰をいただいております。




弁慶堂
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弁慶堂は文政10年(1827)の建立で、ご本尊は勝軍地蔵。古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。堂内の格天井には60種余りの草花が描かれています。

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