チル菜び

いつか行きたい日本の名所、今日の一曲、ミスチルネタ、中森明菜ネタ、
行った気になる世界遺産、車中泊旅行ネタなどを自分勝手に書き綴ってます。

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長野県へ

旧開智学校 こちらも行きたかった場所で楽しみにしてたのですが・・・ なんとまぁ休館日。。。😞 とりあえず鉄格子の中にカメラを突っ込んで(笑) 外観だけでもステキで見る価値があります 今度は中もぜひ見てみたいです!!
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松本神社 元々は暘谷大神社という名で、松本城主松平康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀ったものでした。 その後、今宮八幡宮、片宮八幡宮、共武大神社(松平康長)、淑慎大神社(松姫)、若宮八幡宮との合祀を期に松本神社と改めたとの事です。 松本神社前井
『松本城ゆかりの松本神社へ』の画像

桜の木でしょうか? 春に来ると良さそうですね~ 松本市立博物館 駐車場 ・・・おわり
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辰巳附櫓二階 泰平の世になって増設された櫓です。 この櫓は月見櫓を天守に付設するための連結の役割をもっていました。 花頭窓 中国から鎌倉時代に伝えられた仏教建築の様式で、天守建築では格式の高い窓とされています。乾小天守の四階にもこの窓がつけられてい
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天守三階 ここは乾小天守三階と同じく下から二重目の屋根がこの階の周囲を巡ってつくられているため窓が作れません。隠し階、暗闇重などと呼ばれています。戦時は倉庫・避難所としてつかわれたと考えられています。 手斧削りによる貝殻状の「はつり紋」が美しく浮かび上
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天守の土台支持柱 懸魚芯材 天守二階 この階は窓が多く明るい階です。 竪格子窓(武者窓)が東・西・南の三方にあります。 四部屋に分けられていて、武士たちがつめている武者溜だったと考えられています。 鉄砲蔵 松本市出身の故赤羽通重
『松本城へ*****』の画像

鯱真木 矢狭間・鉄砲狭間・武者窓 石落 壁の構造 天守大棟の鯱 つづく・・・
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国宝 松本城天守 9:00~16:00の間、本丸庭園内に忍者などの装束をまとった「おもてなし隊」が登場します。お手持ちのカメラをお預かりして撮影したり、おもてなし隊と一緒に撮影することができるようです。 ・・・がそんなこととは知らなかった私は、また何
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史跡松本城の概要 松本城は北東から南西に緩やかに傾斜した扇状地上にある平城です。 戦国時代の初めに守護大名小笠原氏の支城としてこの地に深志城が築かれ、1550年に甲斐(山梨県)の武田氏が小笠原氏を追放し、深志城を信濃支配の拠点としました。 武田氏滅亡後、小笠
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太鼓門 太鼓門枡形の一の門をいいます。江戸時代は倉庫として使用されていました。明治初年に破却されましたが、平成3年から発掘調査、同4年に石垣の復元を完了し、同11年に土台石の形に合わせて柱を削り、太鼓門が復元されました。樹齢400年の檜、梁は140年の松を使用
『松本城へ*』の画像

行きたいと思いながらもなかなか行けずにいた松本城へやっと行くことができました 二の丸裏御門橋 成り行きで、こちらからの裏口入城です お堀には何の鳥でしょうか?沢山休んでいました。 奥には松本城が見えますね~ 右の土蔵は、1867年に新
『松本城へ』の画像

小口太郎像 長野県岡谷市生まれの科学者、歌人。 大学在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め諸外国に特許申請。 科学者以外の彼を有名にしたのは、「琵琶湖周航の歌」の作詞者としてである。 1918年、三高ボート部員として琵琶湖周航中、故郷諏訪湖に思いを馳せ
『諏訪湖』の画像

釜口水門 諏訪湖から天竜川が流れ出る地点に位置する水門です。 舟通し水門 天竜川沿いの漁舟が諏訪湖に通行するための施設です。 諏訪湖と天竜川では水位差が約3.5mあるのでパナマ運河方式を採用しています。 2門のゲート間に漁舟を入れ、ゲート間の水の
『釜口水門』の画像

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